2008年11月30日(日)
デジタル写真データの保存 [日々の徒然]
今主力で使っているデジカメは、Canon EOS30DもSONY α100もGR DIGITAL IIも、すべて専用バッテリーで動作している。自分の手持ちカメラに限らず、今店頭で売っているメジャーなデジカメの多くが専用バッテリーを使うのではないかと思われる。
最近、巷では「エコロジー」が叫ばれている。確かに、省エネという観点で、充電地を利用するのは良いことなのかもしれないと思う。しかし、本当にエコロジーを考えたら、世代を越えて使える「道具」こそが本物のエコロジーといえるのではないだろうか?
自分の手持ちカメラで言えば、KONIFLEX2は、フィルムさえ供給されれば世代を越えて使っていける。C35もボタン電池が供給される限り使える。
しかし、専用バッテリーの主力デジカメ達は、バッテリーの供給が止まれば、それ以降は確実に使えなくなってしまう。すなわち「時限付き使い捨てカメラ」なのだ。
実は、昨今のデジタル機器は、カメラに限らずどれもこれも「世代を越えた道具」にはなり得ない宿命を背負っている。長い目で見た場合、今時の機器が本当に「エコ」なのか、少々疑問を感じないでもない。
「時限付き」と言えば、デジカメで撮影した写真データも「時限付き」となる可能性が高い。デジタルで写真を撮っている人が意識すべき最重要課題は、長期間のデータの保存方法なのではないだろうか。
デジタルデータは手軽で美しいが、データフォーマットが変更されれば読み出すことができなくなる運命にある。例えば、デジカメのRAWフォーマットは、一見もっとも使い回しの効く便利なデータフォーマットに見えるが、実は機種の世代やメーカーが違えばフォーマットが異なる場合が多い。つまり将来メーカーが自分のカメラのRAWデータをサポートしなくなれば、読み出せなくなるリスクがあるのだ。
時間の経過によって写真を失うリスクを避ける一番いい方法は、銀塩フィルムで撮って現像し、良好なコンディションの元でフィルムを保存することだろう。銀塩写真の偉大さは、100年以上前の写真を今でも見ることができることが既に確認されていることだ。例えば先日の「板橋と光学」展では、最後の将軍・徳川慶喜公が愛用のカメラで撮影した写真が展示されていた。元将軍とはいえ写真家ではない一個人が撮影した明治時代の写真が今でも見られるのである。
しかし、そうは言ってもデジタルの利便性は捨てがたい。利便性を求めてデジカメを使いつつデータのリスクを回避するには、とりあえず当面はJPEGやTIFFなどすでに十分世界中に出回っているフォーマットで保存しておくのがよいのではないかと思う。とりあえずRAWによる長期間保存は、避けた方がよさそうだ。
ちなみに自分は、過去に撮影したデータをRAWで保存しているものが非常に多い。これはまずいので、これから少しづつTIFFかJPEGに変換して保存し直していく予定である。手間はかかるが、5年後に読み出せなくなるよりはマシだ。
インターネットにはデジタル化された写真データが掃いて捨てるほど公開されているが、100年後にどれだけの写真のオリジナルデータを見ることができるのだろうか。デジタルカメラが世界的に本格的に普及し始めてから、まだ日は浅い。写真データの長期保存というのは、実は、まだまだこれからの課題なのである。
Posted by Julian at 01時20分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://photo.digi50.com/a-blog/tb.php?ID=618