2012年05月19日(土)
Kyocera SAMURAI X3.0とペンスケッチ展8 [写真機徒然]
多分、今から20年以上前に新品で手に入れたカメラである。
記憶をたどると、某カメラ量販店の店頭で投げ売りされていたものを、何かの気まぐれで拾ったもののように思うが、入手の経緯はほぼ覚えていない。
手に入れた当初は、友人と遊びに行くたびに持ちだしていた記憶がある。しかし、その後長らくカメラケースにしまわれたまま忘却の彼方へ追いやられ、2006年に突如フィルムでの撮影に目覚めた頃に復活を遂げた。
その後また2-3年、今度は防湿ケースの中で眠っていたところ、今年6月5日に開幕する「ペンスケッチ展8」の作品撮りカメラとして目を覚ます事になった。
これまでの保管状況の悪さの割にレンズや撮影機構に問題はなく、ちゃんと撮れる。しかしファインダーに少しゴミが混入しており、その点は、いわゆる「美品」とは言い難いコンディションにある。
それでは、このカメラでどんな作品を撮ったのか?
それは「ペンスケッチ展8」会場でのお楽しみとしておきたい。
ご興味ある方で東京周辺の方は、是非会場へ(^^)。
<ペンスケッチ展8>
http://mazken.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-8900.html
「写楽房 樹理庵」名義で出展しているはず・・・だ。
ちなみに「ペンスケッチ展8」に出展する写真は、全部で3台のカメラで撮っている。
SAMURAIの他にOLYMPUS PEN EE-3とKonica Recorderで、この3台で並列で撮った約200カットから作品を選んだ。
200カットといっても24枚撮りフィルム4本分であり、PENで2本、SAMURAIとRecorderは各1本しか使っていない。
とりあえず写真は準備できたから、今日これから、展示のためのパネルを買いに行く。展示方法は、普通の額に入れて飾る方法ではない。
二度目の展示にして冒険しすぎという気もするが、果たして目論見通りに展示できるだろうか。
そのあたり、まだスリリングな要素を残しているのである(^^;)。
Posted by Julian at 12時37分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年05月16日(水)
酔って候 [銀塩写真]
柳ジョージの「酔って候」は、カラオケに行くと歌う我が十八番だ。
土佐の鯨海酔候こと山内容堂の維新後の心情をテーマにした名曲だと思う。
維新直前の御前会議で薩長に敗れた容堂は、維新後政治の世界から離れ、これ見よがしに酒に溺れてみせた。そして、明治初期の混乱期に、ほどなく胃潰瘍で世を去る。
維新前の一時期、国のカタチを決める主役のひとりを演じた容堂の、明治後の諸侯としての潔い処世は、いまだにファンを生み出している。
もし今、容堂が世にあったら、華やかではないけれど人々が幸せに繋がっている、案外こんなところで、時にはお忍びで呑んでいるかもしれないな(^^)
Posted by Julian at 21時17分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年05月13日(日)
インテリア写真 [デジタル写真]
店やリビングの壁に飾り、インテリアとして空間を彩るための写真。
そういう写真において要求される作品性は、写真集や写真展などで求められるものとは、何か質的に異なるように思う。
どっちが良いとか悪いとかの話ではなく、求める/求められる方向の違いが、作品を異なるものにするということだ。
自分は一昨年くらいから、お散歩街撮りスナップに写真活動の主軸を置き、意識的にインテリア風写真を避けてきたのだが、実は、それ以前には結構得意としていたのである。
また今年も、撮影テーマに色々迷っているのだけれど、敢えてインテリア写真を狙ってみるのもいいかもしれない。
あたしのインテリア写真は、比較的Getty Imagesあたりでの受けも良いので、うまくすると一石二鳥になるかも (゜゜)\バキ☆
ま、よこしまなことは考えないことにしよう(^^;)。
Posted by Julian at 23時05分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年05月12日(土)
お茶の水界隈 [銀塩写真]
先日、所要があって訪れた神田からお茶の水まで、ぶらぶらお散歩をしてきた。大した距離ではないが、街がみっしり詰まっているこの界隈は、傑作写真を求めなければそれなりに被写体に事欠かない。
駐車場の猫は、あくびをしてはおらず、近所の人の施しと思われる食事の最中だった。あるいは、これは施しではなく、こういう形で飼われているのかも知れず、猫にしてみればいつものごはんなのかもしれない。
厳選素材の店の前にも猫がいた。こちらは寝起きで、ひとつ大きなあくびをした後、のそのそと自転車の下をくぐり抜けて人が入れぬ路地=猫道へと去っていった。
ニコライ堂では、敬虔な表情で教会内の十字架を見つめるキリスト教徒と思しき人々と、明らかに物見遊山の単なる観光客とが入り混じる。
自分は後者であると言うか、たまたま通りかかった通行人と言うのが正しいのだが、それでも一応拝観料を払って教会内へ入り、蝋燭を灯して自己流ながらお祈りを捧げてきた。
聖橋付近では、休日にはイベントが開催されていることが多い。
しかしこの日は、特に何もイベントがなく、オープンカフェも至って普通の佇まいである。
丸の内線御茶ノ水駅から地下鉄に乗り、家へ戻ると愛猫がお待ちかねであった。
あお向けでひっくり返っているのは、歓迎のポーズでもあり、手を出すと猫キック見舞うにゃ、のポーズでもある。
かわいいので撫でてやろうと手を出すと、たちまち前足で抱え込まれて猫キックの嵐をみまわれる。この日も懲りずに手を出して、右腕が傷だらけになった。
Posted by Julian at 13時06分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年05月06日(日)
街撮りスナップの表現 [銀塩写真]
街を歩けば、いろんなモノが目に入ってくる。特に東京の街は、商業都市として世界有数なだけのことはあり、見慣れた景色も改めて見直すと面白いものであふれている。
ウィンドショッピング感覚でカメラ片手にぶらぶら散歩しながらシャッターを切れば、いつもの景色がなにやら面白げな絵になるから不思議なものだ。
街撮りスナップの魅力は、街の再発見にある。気負わず、縮こまらず、目についたものを被写体にして、自由にシャッターを切る。
その結果の写真は、1枚だけだとありふれた被写体を写したものでしかないが、何枚も並べることで撮影者の視線が感じられるものになり、そこに作品性が生まれてくる。
街撮りスナップを写真作品とする場合、枚数が多ければ多いほど良い作品になるように思う。作品とは、すなわち作家性の発露である。アラーキーが街をテーマにした写真展1回に最大1万枚もの写真を出展することがあるのは、また森山大道の主な表現手段が写真集と個展であるのは、すなわちそういうことなのではなかろうか。
強烈な印象を与える1枚の写真で全てを表わす手法は、表現としてわかりやすいし、有効な手段である。
一方で、なにげない写真をたくさん並べる中で視点を表現する手法も、現実をコピーする写真ならではの表現手法として「あり」なのではないだろうか。
今年、写真を発表する機会が何回か決まっているのだが、そこでは、なにげない街のスナップ写真を沢山並べる街撮りスナップ写真の手法で臨みたいと思っている。
まず6月、ペンスケッチ展には30枚程度は出したい。
8月のNGP アンデパンダン展にも、50枚くらい出せればと思う。
それをどう展示するかは、目下、企み中である。
Posted by Julian at 18時10分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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