2011年03月15日(火)
東北関東大震災 Part.3 [日々の徒然]
昨夜、東海村の実家と固定電話で話をすることができました。
現地では、みんな大変な目にあっていること、東京からではなにもできないことに違いはありませんが、直接話ができると安心感が違います。
東海村は、震災3日にして、大部分の地域で電気は通ったようです。
ただ、村内全域で水道とガスがダメとのこと。水は配給で、復旧見込みのアナウンスは、まだないようです。
また、物資が圧倒的に不足しており、村内最大の小売店「イオン(旧ジャスコ)も店を閉じており、トラックが着く度に店の前で売りさばいている状態だとか。
水道、ガス、下水などのライフラインの復旧も大事ですが、併せて、生活物資が滞りなく豊富に被災地に届けられることを願います。
ところで、震災の被害が比較的軽微な東京では、スーパーやドラッグストア、コンビニの店頭から、ペットボトル入りの水や、トイレットペーパー、保存がきく食料品が、一夜にして消えるという現象が起きています。ホームセンターではガスボンベが、電気屋さんでは携帯ラジオと電池が店頭から消えました。
震災の余震についてマスメディアを通じて情報が流れるにつれ、いつもよりも1本・1品多く買ったり、極端な話、必要もないのにまとめ買いをする「買い占め」に走った人も少なからずいたようです。勿論、停電の影響もあるのでしょう。
東京近郊の海沿いの一部地域では、今回の地震でライフラインが破壊され、断水して給水車が回っている地域があります。そう言う地域で、ペットボトル入りの水がスーパーの店頭から消えると言うなら話もわかりますが、買い占め騒動は、東京中のスーパーやドラッグストアで起こっているようです。
ちなみに、板橋区にある我家の周りのスーパー、コンビニの店頭も、ご多分に漏れずすっからかんです。
まぁ、誰だっていざというときに飲み水や食べ物がないのは恐怖でしょう。その気持ちは、わからないではないですが、この現象は、ちょっと短絡的。
一体、東京人はなにをやっているのか?と恥ずかしくもあり、滑稽ささえ感じてしまいます。
水の備蓄が欲しければ、まず手元の空のペットボトルを洗って水道水を入れ、それで足りなければ、とりあえず今日明日に必要な分だけ水のペットボトルを買ってきて、飲み終わるごとに水道水を詰めて備蓄用にすれば良いのでは。
それであっという間に10Lや20Lの備蓄ができます。
保存食も、本当にそんなに必要なのでしょうか?
自宅の棚を探せば、結構色々、2-3日分くらいは、普通に出てくるのでは?
まぁ、何はともあれ、東京の食品スーパーの店頭すっからかん騒動、いつまで続くか、天の邪鬼な私は、高みの見物を決め込んでいます。
Posted by Julian at 18時55分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月13日(日)
東北関東大震災 Part.2 [日々の徒然]
3/13 日曜日。朝、妹あてに両親から電話連絡があり、とりあえず無事であることがわかりました。一安心です。
しかし、電話は公衆電話から発信のみ、水は配給、食料も底を突き、配給を受けるにも、食料を手に入れるにも数時間は並ぶと言う現地の状況を知るに、既に70歳を越している両親の体力が限界に達しているであろうことが心配です。
東北地方の被災地で亡くなった方には、心から哀悼の意を表します。
しかし、今は東海村へ通じる道を、東京からの一般車両が通れるようになるのは、一体いつになるのか。それが最大の気がかりです。
各地から茨城県へ通じる道の利用で、今優先すべきは、多くの人々の命を救う援助物資の運送です。
茨城県中部〜北部にかけては、東北地方沿岸部と比べて被害そのものは少なく、ライフラインが途絶えている中で、大勢の人々が生きています。
また、福島県など近隣県からの避難受け入れも開始されています。
人が生きていれば、喉も渇くし、腹も減ります。
彼の地の物資は、この2日で、相当心細くなっているようです。
それ故、私情を殺して、今は、物資の輸送、あらゆるライフラインの復旧を担当するプロ達やレスキュー隊の通行を最優先に考えざるを得ません。
茨城の老人達は、その他多くの地域の老人達同様、若い人に物資を譲る人が多そうな気がします。
非常に心配しているのは、そう言う老人達へ食料や水が上手く配分されず、体力に劣る老人世帯で餓死者が出るような事態です。これは、なんとしても避けなくてはなりません。
東京にいては、なにもできません。
ただ、故郷の両親、親族、そして子供の頃にお世話になった(・・・迷惑をかけた(^^;)?)近隣の方々が、この困難を無事に乗り越えてくれることを、心から祈ります。
Posted by Julian at 18時33分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月12日(土)
東北関東大震災 [日々の徒然]
2011年3月11日14時46分より少し遅れて、赤羽駅に停車していた京浜東北線の車両が大きく揺れました。揺れ方は、ゆらゆらと、大きく揺すられている感じで、地震特有のドーン!という感じではありませんでした。
その電車に乗っていた私は、特に危機感もなく、そのうち動くだろうとタカをくくって、仕事先で合流する予定だった同僚にホームから電話をかけ、時間通りにはいけそうにない旨と、遅れても必ず行く旨を伝えました。そう、その時点では携帯電話が普通に使えていました。
それからすぐ余震が来て、駅のアナウンスが、首都圏の全てのJR線が止まったことを告げました。ホームに立っていた私は、地震の横揺れを、なんだか船の上にいるようだなどと感じながら、駅コンコースへ階段を降りていき、そのまま大混雑する改札を抜けて外に出ました。
しばらく、iPhoneを使ってtwitterなどで情報を収集し、最早、仕事先へ行くことも、会社へ戻ることもできない事を悟り、まだ就業時間中ではありましたが、幸い動いているバスを使い、自宅へ戻って待機することにしました。
家でテレビを付けると、予想を上回る大惨事の映像が流れていました。
バスで帰宅出来たのは、かなりの幸運だったようです。
以降、多分これを読んでいだいている多くの方と同じように、時間が流れています。
首都圏の交通機関が麻痺して、家に帰れなかった方も多いと思います。
私の嫁さんも、仕事先から戻れず、勤務先に一泊して今日の午後帰ってきました。
週末の外出は取りやめ、できるだけ節電に努めつつ自宅にいます。
東北太平洋沿岸や福島原発など、大きな被災地の状況も気になりますが、私としては、まだ連絡が取れない茨城の両親の安否が一番の気がかりです。
昨日から電話は通じず、携帯も通じません。場所的には、大きな被害が出た場所から離れていますが、実家から10km程の場所に住む妹の義父からの情報では、水道、電気、ガスのライフラインが全滅であることがわかっています。
まぁ、両親が住むあたりは、災害対策について全国でも指折りの地域なので、多分どこかに避難しているのではないかとは思いますが、連絡が付かない事だけが気がかりです。
ところで、福島第一原発は、スリーマイル島原子力発電所事故を彷彿とさせる状況になってきていますね。NHKのニュースでは、爆発の有無を確認中とのことですが、流石に、これは、かなりまずいのではないかなぁ・・・。
建屋が吹っ飛んでしまった際に、どれほどの放射性物質が放出されたのかが問題です。
ちなみに、私の実家は、茨城県東海村にあります。
原発事故は、人ごとではありません。
Posted by Julian at 17時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月10日(木)
顔 [銀塩写真]
壁にはまり込んだ、なんとも気持ち悪い「顔」は、新宿駅東口前にあるガムの宣伝看板です。
このテカテカしている黒い壁に映った街を撮ったつもりでしたが、映り込んだ街は、やはりこの「顔」のインパクトに負けてしまい、狙いとはかなり違う印象の写真になってます(^^;)
さて、明日働いたら、週末。
土曜日は、再修理から上がってきた黒のKonica FT-1 motorで、リベンジ撮影に出かける予定です。
Posted by Julian at 23時16分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月09日(水)
たこ焼き屋台 [銀塩写真]
新宿御苑で見かけた、たこ焼き屋台。
通りがかった時は、開店準備中でした。
ここのところ週末に時間がある時は、カメラを首からぶら下げて、お散歩カメラに出かけます。
連れ出すカメラは、その時の気分次第。
フィルム、デジタル。
コンパクト、一眼。
そして、レンジファインダー。
いつの間にか、色々な種類のカメラが手元に増えました。
フィルム用機材は、カメラもレンズも、ほぼ全て中古品です。
今週末も、時間がとれたら、カメラを片手に、ブラリとどこかへ出かけるつもりです。
・・・その前に、明日、明後日は、仕事しなきゃ(^^;)。
Posted by Julian at 22時35分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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