2011年11月21日(月)
Kodak GOLD100 [日々の徒然]
今年は春先から様々なフィルムカメラを使っているが、フィルムは一貫してKodak GOLD100を使い続けている。
そもそもKodak GOLD100を使い始めたのは、「安いから」というのが一番の理由だった。キタムラへ行くと、Kodak GOLD100 24枚撮りが1本200円以下で販売されていて、それを使い始めたのがきっかけだ。
では何故、安いフィルムを使うのか?と言うと、元々デジタルから写真を撮り始めた自分としては、フィルムで撮影することに慣れていないため、高価なフィルムを使うと、それだけで萎縮してしまってシャッターを押す頻度が下がってしまう傾向があった。それを避けるために、敢えてその時の最安値のフィルムを選んで使って、遠慮無くばしばし撮る感覚を養うことを優先しようと思ったからだ。
既に、春先から約半年近くKodak GOLD100で撮り続けているわけだが、現像結果をデジタル変換する今の使い方では、今のところこのフィルムで不満はない。発色もコントラストも粒状感もきめ細かさも、別段特別なことは何もなく、かえってそれがフィルムらしくていいのかもしれない。
ただ、そろそろ白黒フィルムのT-MAXやILFORD、個性的な発色のカラーネガSOLARIS、あるいは富士フイルムのNATURA1600など、他のフィルムで撮ってみたいという気持ちも出てきている。
まだしばらくはKodak GOLD100が我がスタンダード・フィルムであり続けると思うが、今後少しづつ他のフィルムも試してみよう・・・。
Posted by Julian at 21時41分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年11月19日(土)
カラー写真のハードタッチ・モノクロ調への変換 [日々の徒然]
KumarinXさんが公開してくれている銀残し調写真の作り方を応用して、ハードタッチ・モノクロ調写真の作り方を工夫してみた。
以下、Photoshop CS5での方法。
手順:
ファイルを開く→色調補正「白黒...」→レイヤーを複製→オーバーレイ→新規調整レイヤー→明るさ・コントラスト→コントラストを適宜整える→画像を統合
普通にやると、オーバーレイした時点でグレー部分の黒成分が二倍になって画面全体が真っ黒になる。また、白成分も二倍になるので明るい部分の階調も吹き飛んでしまう。
そこから、調整レイヤーの「明るさ・コントラスト」で階調を掘り出していき、丁度いいところで止める。必要に応じて、覆い焼き、焼き込みなどで微調整。
また、レイヤーをコピーする前に、必要に応じて元の白黒画像のコントラストを弱めに調整しておくと、後でコントラスト調整がやりやすい。
また、「画像を統合」前までを Applescriptで記録してスクリプト化しておくと、作業を簡略化することもできると思う(私は、やってないけど・・・)。
これまでにもカラー写真のモノクロ化の方法を色々試してきたが、今のところハードタッチなモノクロ画像を制作するなら、上記の手順でモノクロ変換するのが最も良い結果が得られるように思う。
お試しあれ〜(^^)。
Posted by Julian at 11時17分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年10月29日(土)
写真という表現手段 [日々の徒然]
写真機には、目の前の現実を写し取るコピー機としての使い方と、表現したい絵を制作する絵筆としての使い方と、大きく分けて二つの使い方があるように思う。
前者の究極の作例が、目の前の被写体をそのまま写して出す報道写真であり、後者の究極の作例が、被写体や光、影、色を作者のイメージに合わせて精緻に作り込むアート写真である。
そして、その中間に、様々な写真表現がある。
例えば、スタジオで撮るポートレート写真は後者に近いし、ライブや祭りなどのイベント写真などは前者に近い。
同じように目の前の現実を撮っていながら、イメージ通りの光や影が現れるのを待ち続ける風景写真は後者に近いと思うし、なにものかを表現するために一瞬のタイミングや通り過ぎる光景を写し取るストリートスナップの手法は前者に近い。
また、森山大道のように、コピー機的な撮り方をして現像やプリントで絵筆のように表現する人もいるし、HCBのように、作り込まない目の前の被写体をコピー機的に撮っていながら、画面構成自体が写実画を思わせるような人もいる。蜷川実花の写真の色彩はアートな領域だと思うが、表現したいことが異なれば、窪塚洋介を撮った写真のようにストリートスナップ的な手法でも撮っている。
コピー機的な手法も絵筆的な手法も、写真家が「これをやろう」と思えば、写真機は道具として応えてくれる。そのための技法は、それこそ非常に沢山の選択肢があるのだろう。その辺は、まだまだ全然詳しくないので、ここでは感覚論的な話に留める。
残る問題は、写真機を使って何を表現したいのか、ということだ。
コピーか、絵筆か、その中間か。
私の場合、自身の撮影スタイルから「目の前を通り過ぎる 『Passing Sight 』を写し取る」というコンセプトを掲げてみたのは良いけれど、「で?」という問いに対する答えは、なかなか出ない。
現実コピー写真を表現手段として採用し、どんな写真を撮り、どんな波動で相手の感情になにものかを引き起こすのか。それは、これまでに撮った写真、これから撮る写真で探してしていくことになるんだろうな。
Posted by Julian at 12時27分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年10月06日(木)
追悼 Steve Jobs [日々の徒然]
Apple社の創業者の一人にして前CEO・Steve Jobs氏が2011年10月5日に亡くなった。
Jobs氏の死について、マスコミは元より、インターネットやコンピュータ産業の企業や有名人から、MacやiPhoneユーザの一般人までが発信し、一人の経営者の死を遙かに超えた量の情報がデータとなって世界中のネットワークを駆け巡り続けている。
米国大統領のバラク・オバマは、「世界を駆け巡るJobs氏の死に関する情報を見たり書いたりしている端末の多くがJobs氏の発明品であることが、彼の成功の証明だ」というような意味のコメントを出していたが、まさにその通りだと思う。
私は、1993年に初めて自分のパソコンとして「Apple Macintosh LC III」を購入して以来、Apple社の製品を連綿と使い続けてきた。
今は、メインのパソコンとしてMacBook Proを、音楽マシン兼写真データ保存用HDDのRAIDマシンとしてiMacを、無線LANにはAirMac Extremeを、携帯端末としてiPhone4を、カーオーディオとしてiPod nanoを、それぞれ使っている。すっかり、Apple製品にどっぷりだ。
1996年頃からは、記事を雑誌等に寄稿するようにもなり、Apple社やJobs氏のことを書くために、Apple創業後の彼の経歴を調べたりしたこともあった。
2005年のスタンフォード大学卒業式展でのスピーチの締めの言葉、「Stay hungry,Stay foolish」は、現在Facebookのプロフィール欄に載せている座右の銘でもある。
私は、Steve Jobsの経営者としての偉業は、大きく二つあると考えている。
一つは、コンピュータを個人のモノとしたこと。つまり「パーソナルコンピュータ」を、概念ではなく実際にヒット製品「Apple II」として世に送り出すことで、その地位を確立させたことだ。IBMの参入も、マイクロソフトの躍進も、Apple IIのヒットがなければなかったか、あるいはもっと遅くなっていた。
なお、MacintoshでGUIを導入したこともパソコンの普及に於いて大きな役割を果たしたが、こちらをヒットさせ一般化させたのは、どちららかと言えばMicrsoftのBill Gatesの功績だと思う。
二つ目は、コンピュータの利用環境を家の中から家の外へ、人々のポケットの中へと広げたこと。
これも以前からコンセプトは色々な人が語り、NTTドコモのiモードなどで部分的には実現していたが、iPhoneの大ヒットがあって初めて世界中の人々や企業がこの世界へ本腰を入れ、今や、コンピュータを携帯端末から使うことは当たり前のことになった。
最近は、クラウドコンピューティングがホットな注目を集めているが、これだってiPhoneが切り開いた「携帯電話の通信機能を持った小型高性能コンピュータ」の普及がなければ、こんなにも一気に広がることはなかったはずだ。
Steve Jobsによる二つの偉業の結果、30年前に彼が夢見た「個人の能力を拡張する道具としてのコンピュータ」が一層身近なものとなり、まさに、いつでもどこでも誰もが利用することができるようになった。
更に、この環境をプラットフォームに、人と人、モノとモノ、人とモノなど、様々な関係性までもが新しい局面を迎えようとしている。
コンピュータの歴史の中で、一度ならず二度までも世界を変えた男、Steve Jobs。
56歳の死はあまりに早すぎる。
今はただ、心から冥福を祈りたい。
Posted by Julian at 20時01分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年09月08日(木)
撮影散歩 [日々の徒然]
今週末、久々に友人達と墨田区台東区撮影散歩に行く予定でいる。
当初は、散歩の最初から参加する予定でいたのだけれど、先週末に突然壊れた風呂の修理が水曜日に終わらなかったため、続きを土曜日にやってもらうことになってしまった。撮影散歩は、その完了を見届けてからの参加となりそうだ。
先週は、西日本を直撃した台風の余波で関東も荒れた天気に終始した。
週があけたら季節が移ろい、朝夕は既に爽やかさ漂う初秋の趣である。
これから、お散歩カメラには良い季節がやってくる。お気に入りのカメラをぶら下げて、またのんびりと過ぎゆく街の光景を追いかけたいと思う。
そういえば9月は、嫁さんの出張と合わせて三連休に秋田へ旅行する予定がある。
特になにが撮りたいとは考えていないが、勿論、カメラを持参するつもりだ。
Posted by Julian at 22時33分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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